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第39回 平成23年7月8日 カミュ『異邦人』

40年以上まえに読み、衝撃を受けた作品だった。いま読み直し、新たに考えさせられ、主人公の行動パターンに心のざわつくのを覚えた。カミユがノーベル文学賞を受賞したのは知らなかったが、それには、この作品が大いに影響していることと思う。初めて読んだときは、石原慎太郎の「太陽の季節」を思い出したものだ。
主人公・ムルソーは神の存在を信じない、何かを悔いるということのない若者である。その刹那的な生きざまは、縁もゆかりもない人間をピストルで撃ち殺す。一発撃って、動かなくなった相手に更に4発の銃弾を撃ち込む。動機は、太陽がぎらぎらと輝いていた所為だ、とする。
死刑判決をうけ、ギロチンに掛けられるのだが、その理由は、殺人、というより神を信じない、悔いも懺悔もしない、という生き方に、人間としての周囲の絶望を買ってしまったのだろう。→無神論的立場に立った実存主義。
ラストの独房の場面で、自分は幸せだった、これほど世界を自分に近いと感じ、兄弟のように感じたことはなかった、と独白せしめる。そして処刑の日に、大勢の見物人が集まり、自分に対して憎悪の叫びを上げることを待ち望んでいる。
① 分かりやすく、短い、歯切れの良い文章で、殆どが過去形で表現されている。
② サルトル「実存主義とは何か」を買い、読んでみた。難解きわまりないが、本文からの次の引用が、主人公・ムルソーの行動を理解する助けになった。
『実存主義とは、一貫した無神論的立場からあらゆる結果を弾き出すための努力に他ならない。<中略>人間が意欲することができるのは、何よりもまず、自分自身のほかは何物も頼りに出来ず、自分は無限の責任に取り囲まれ、助けも救いもなく、自分で自分に与える目標以外の目標を持たず、自らこの地上に遺棄されているのだ、という事を理解した後に初めて可能なのだ。この確信こそが、我々が絶望と名付けるものである。絶望は意志と一体をなす。絶望と共に真の楽観性がはじまる。何物も期待しない人間、いかなる権利も持たず、当然受け取るべき何物も持たぬ事を知っている人間の、自分自身しか頼りにせず、万人の利益のためにただ一人で行動することに喜びを見いだす人間の、楽観性である』~サルトル「実存主義とはなにか」人文書院・伊吹武彦・他訳(OM)

「今日、ママが死んだ」。聞きなれた「ママンが死んだ」としていないこの段階で、この訳者の自意識過剰にならない姿勢を感じて、ホッと安心して読み始めた。途中まで読んでから、この作品が1967年にルキノ・ヴィスッコンティ監督(「山猫」、「ローマに死す」)、若き日のマルチェロ・マストロヤンニ主演で作られていることを知ったのでYouTubeで検索してみると、幸いにドイツ語版・英語字幕(したがって完全には分かりませんでしたが)ではあるが、全編見ることができた。おかげで、本で分かりにくかった部分を補うことができたような気がする。原作の雰囲気をよく出した優れた映画だったと思う。
「実存主義」なんて遠い言葉であったが、そう言われてみれば自分の中にもそういう「気分」に陥る時が時にあるような気がして、ふと心が冷える心地がした。
依存しない、関わらない、すべて自己責任で完結する、他への執着をもたない・・・。それはいかにも聡明そうに響くが、ほんとうは頭だけで生きている傲慢な状態なのだろう。自分の頭の中の現実だけが現実である、というような感覚。これが「強さ」なのか「弱さ」なのかは断定できないが、ただ自分が宇宙と連動している相対的な存在であるという、謙虚な感覚の対極にはあるものなのだろう。実際、そういう気分になったときの自分を思い起こせば、心は生身の感覚を失って「脳」内にとどまり、聡明どころかドロンと淀んで、無気力でむなしい。それでもまだ、自分が人間として「もろい」状態にいるのではないか、とは思っていない。こういう状態にはまった時は、感動とか、愛とか、生きている実感といったものが薄れているのではないか。主人公は、きっとこの感覚に「ときにフト」ではなく継続的に支配されていたのだと思う。そう考えると主人公のすべての行動に説明がつく気がするのです。(NA)

私が、北アフリカのアルジェリアに居た時、或るアルジェリア人の家庭に招かれ食後の団らんの時に、奥さんからこの本についての話があり、その誇らしげな話しぶりからどんな筋書の本か興味を持った。パリでこの本を求めて読んだが非常に「暗い印象」でした。私は此頃から、今も、アルジェリアの近代史に興味を持って調べています。この作品が書かれたのは1942年、第2次大戦中で米軍が北アフリカに進駐し、アルジェリア人は1830年からのフランス人の侵入、支配、移住してきたフランス人(ピエノワール:黒い足:多くのフランス人は黒い長靴を履いていた)の搾取と、駐留するフランス軍隊、警察による蹂躙のさなかでした。その後、1954年~1962年までの8年間「アルジェの戦い」を起し、アルジェリアは独立を手にいれたが「アルキ」(仏側についてアルジェリア人と戦ったアルジェリア人)の悲劇は今でも継続している。今でもアルキは仏国で仏国籍を持つ「異邦人」としての生活を強いられ、祖国の親戚からは絶縁状態の生活をしている。(KU)
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